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ドーモ、ぬま畑です。
突然ですが今日は自分語りをさせていただこうとこの記事を書いています。
先日、母と父がこの世を去りました。。。
妻と話している中で、「記録に残しておいたほうがいいよ」という言葉をもらい、こうしてブログに綴ることにしたのがこの記事のきっかけです。
まず最初に謝っておきますが、この記事を読んでも何か特別な気づきや得るものはないかもしれません。
ただ、僕が伝えたい結論だけ先に言えば、「親孝行はしておくのもいいかもしれない、出来ればすぐ生きているうちにと言ってると突然来るから…」ということです。
特に20歳を超えたあなたには、両親と一緒に旅行に行ったり、お酒を飲んだり、ディナーやランチを楽しんだりする時間をぜひ持ってほしい。それだけで、両親は心から喜んでくれるはずです。
家族の背景と別れの経緯
僕の妹は再婚し、子供あわせて4人で実家の近くに暮らしていました。
ちょうど5年前、僕が結婚を機に実家を出ることになったとき、両親は心から祝福してくれました。
本来であれば、僕自身が家と土地を譲り受け、夫婦で暮らすというのも一つだったのですが、事情があって滋賀県にいるのが難しくなったのです。
その件はこちらで語らせていただいています。
そして、しっかりしている妹が家と土地をもらう代わりに、親の面倒を見ると言ってくれたのです。(本当にできた妹です)
それが5年前で、そこから紆余曲折ありました。
ただ、僕が実家から離れて2年ほど経ったときに両親二人とも、癌に侵されていて、入退院を繰り返す日々が続きました。
病院の対応もどこか冷たく、時には苛立ちを覚えることもありました。特に印象に残っているのは、ある時病院に呼び出され、「このままではどうなるかわからない」と言われたこと。「・・・で?」 としか思えませんでしたね・・・なんで呼び出した?解決策は?方針等の説明も簡易的だったりと・・・。
とはいえ、長くはもたないと宣告されメンタルが強いはずの妹さえも、何度も何度も泣き崩れました。
そして、それを受けてから、母が先に他界。続いて父も、母の死から2ヶ月ほど経ったある日、病院で「もう長くない」と告げられ、その数日後に父も亡くなりました。
これが大まかな経緯です。
母の死は確かにショックでしたが、不思議と覚悟ができていたのか、崩れ落ちるほどではありませんでしたね。
・・・でですね、母の死後は葬式や挨拶などでかなりバタバタしまして、きちんとした葬式を行う場合相当のお金が必要でした。いやほんと新、人が死ぬととんでもないお金が動くのがびっくりですよ・・・
とにかく母の死のときは別に普通だったのですが、父の死にまつわる出来事では、少し不思議な体験をしたんです。
父との最後の「出会い」について
父が亡くなる1週間ほど前、妹から「お父さんヤバくて入院になった」と連絡がありました。
もうすでに弱くなってて自分で歩くのさえ少し困難な状態で弱り切っていたんです。
そして、数日後。父が亡くなる前日に妹から電話があり、「もうお父さんやばいかも…」と。
するとその夜、何故か不思議に鮮明な夢を見たんです。
夢の中で、僕は今住んでいるアパートに妻と一緒にいました。
~ここからは夢の中~
日常の風景の中、ピンポーンとインターホンが鳴り、「はーい」とドアを開けると、そこに父が立っていたんです。驚いて「お、おとん!何してんねん!え?どうやってここに?一人か?」と声をかけました。
父は一人で出かけることができない人でした。電車の切符すら買えず、買い方もわからない。そんなことはすべて母に任せっきりだったんです。だから、電車はおろか飛行機や新幹線、タクシーを使うなんてありえない父が、僕の住む千葉県まで一人で来るなんて考えられませんでした。
なのに、父は「おう!やっちゃん!」と呼びかけてきました(父は僕のことを「やっちゃん」とか「お兄ちゃん」と呼ぶんですが、一人のときは「やっちゃん」、妹がいると「お兄ちゃん」でした)。
「え?え?どういうこと!?」と混乱している僕に、父は笑顔で「大丈夫だから。」と言ったんです。
何のことかわからず、そのまま父は家に上がることもなくその一言伝えて去っていきました。
~夢終了、目覚め~
そして翌日、妹から「おとん逝ったわ…」と連絡が来たんです。
仕事が忙しくて帰ることもできず、最後に父の顔を見ることはかなわなかったのですが。。。
でも、夢の中で元気な父に会えたのは、本当に嬉しかったんです。
しかも不思議なことに、その時の父と言えば現実では衰弱し、ボケも始まっていて、単語しか話せないほど弱っていたのにも関わらず、夢の中では10歳ほど若く、元気いっぱいの姿だったんです。
服装も、父らしい「いつもの格好」でした。——タートルネックに薄いデニムのベスト、下はジャージにスニーカー。
散歩が趣味だった父が、その散歩スタイルのまま滋賀県から千葉県までやってきたんです。そんな驚きと面白さ、そしてどこか切ない気持ちが入混じった、なんとも言えない不思議な体験の瞬間でした。
きっと、夢の中で最後に会いに来てくれたんだと思います。
なんだかんだ親孝行をしておけばよかった
本題です。
世間ではよく「親孝行したほうがいい」「一緒に旅行に行ったり、ご飯を食べたりするべき」と言われますが、本当にその通りだと、両親が亡くなってから心の底から感じました。
母も父もお酒が好きでしたが、体調を崩して禁酒生活を送っていたので、一緒にお酒を飲むことはできませんでした。
せっかく大人になってお酒が飲める歳になったのに、誕生日くらい一緒に乾杯して、将来のことや好きなことをいっぱい語り合えればよかったと今にして思います。
両親が何を好きだったのか、何をしているときが幸せだったのか、子供の時に将来は何になりたかったなどなど、もっともっと聞きたいことがあったなぁと、今になって思います。
・・・そう、もうそれは聞けないのです・・・
だから、このブログを読んでいるあなたに伝えたい。
別に「両親を大事にしろ」と上から目線で言いたいわけじゃないんです。
ただ、別れは突然やってきます。
仕事や人生での失敗なら取り返しがつくこともあるけれど、両親が亡くなってからではできない親孝行というのは、本当に取り返しがつかないことの一つだと痛感しています。
悪いことは言いません。
親孝行してあげてください。もうできない僕の代わりに、両親と一緒にご飯を食べるだけでいいです。なんなら5分でもいいから話すだけでも構いません!
両親はそれだけできっと喜んでくれます。どうか、親孝行をしてください。。。
ぬま畑